命を救うのか、それとも心を救うのか?
2014年12月3日
AEDが日本に普及し10年目の年も、もうあとわずか。
どのような変化を日本にもたらしたでしょうか。
どのような課題をかかえているのでしょうか。
◆世界一の普及台数
AEDはヨーロッパやアメリカ等の諸外国で日本より早く普及していましたが、後発であった日本はあっという間にAED普及台数世界一になりました。
真面目で空気感にしたがう国民性がとても出ている結果かと感じます。
実はAEDの設置台数は国もメーカーも把握できていません。
把握できているのはメーカーが販売した台数です。
世界一と言われているのは販売数量からしての推測です。
AEDを普及することを目的としてきた日本は一定の目的をこの10年で達したのではないでしょうか。
しかし、AEDの普及は目的ではなく手段だと思います。
目的と手段が入れ替わっていないか本質的議論と行動が必要です。
◆AED設置の目的と考え方
AEDが一般市民に使用できるようになったのは、救急車が到着するまでの数分にAEDを用いた救命処置をすることで助かる命が多くあることからです。そして、救命率が向上する結果を目的としてきました。
しかし、多くの人は救命の現場に立ち会うことも少ないでしょう。
AEDを設置している施設の方から、こんな話を聞くことがあります。
「AEDを設置してから何年もたつけれど、一度も使用していない」
「買い換えも検討しないといけないけれども、もう必要ないかな」
使用したことないから必要ない、効果的ではないからいらないと言われる方がおられます。
しかし、願わくば
「使用する機会がなくて良かった。これからも何かあれば助ける為の備えはしておきたいね」
消火器を設置するように、AEDもそう言ってもらえたらと願っております。
確かに必要性の低い場所はあるかと思います。
効果的なAEDの配置を考えると、この声は正しくもあり正しくもないと言えます。
たとえば、AEDを2台並べて同じ場所に設置するよりも、2台を一定の間隔に距離を開けて設置するほうが効果的です。
同じ場所に設置するなら1台は効果的ではありません。
極端な例をあげましたが、救命率の向上を目指すなら適正なAEDの配置は考えないといけません。
AED普及台数=救命率の向上とは言えないということです。
◆AEDの効果を上げるために必要なこと
AEDの適正配置については、上記に書いたとおり考えないといけません。
ほかにも、救命率の向上にもうひとつ考えないといけないこと。
それは「人」の問題です。
大前提としてAEDが人を救うのではなく、人が行動することで命を救うからです。
この問題に対し、様々な団体が全国で救命講習を実施し全国民に当たり前のように広げようと救命講習の普及活動が行われています。とても大切なことです。
そこから、より効果的に救命率を上げるには私は救護体制の確率と向上が必要だと考えます。
救命講習を学ばれた方だとよくわかると思います。
一人では効果的で迅速な救命活動はなかなかできません。
やはり周囲の助けが必要です。
周囲の助けを得られやすくもっと効果的にするためには、役割をもって活動をする人達が必要だと感じます。
組織内における救護体制の確立を目指さないといけません。
AED設置導入後の効果的なAEDの適正配置や救護体制の構築のご相談がございましたら救命コムへお問合せください。
先日は、ハーフマラソンの救護体制のご協力をさせていただきました。
実際の救護経験は十分でないと思っておりますが、ご相談いただきましたら最善を尽くさせていただきます。
来年から、救護体制支援のサービスを開始予定です。
◆命を救うのか、心を救うのか
もっとも本質的な議論なのかと思います。「命」についてです。
何のために助けるのか?
救命コムでは、救命の現場や、医療の現場など、さまざまな現場に出ていき勉強をさせていただいています。
そんななか、医学会で発表されていた問題から深く考えさせられました。
また在宅医療の最前線でご活躍されている医師から直接お話もお聞きしてきました。
高齢者の在宅医療等では延命治療の意思を本人やご家族に確認するそうです。
そして、意思表示を確認するのですが、いざ病状が悪化しそのまま亡くなる状態になった時に、どういう選択がなされているか現状をご存じでしょうか?
延命処置を希望される方には、延命処置が行われます。
延命処置を事前に希望しないと確認取れている家族のかたはどうか。事前に確認が取れていても、多くの家族は救急車を呼んで、延命処置を希望するそうです。
気持ちはとてもわかります
「大切な家族を、助けてほしい」
しかし、病院に搬送され蘇生し、助かったにもかかわらず。
医師から予後の医療費、介護等のお話などを聞き冷静に考えた家族は延命治療を大半が断るそうです。
命とはこのように情緒的に扱われるものでしょうか。
命の危機がくれば、情緒的に反応し「助けてほしい」と言い、助かれば「助けなくてよい」と言う。
これでは、命をもてあそばれているようにも思われます。
私は救命コムの事業を通じて多くの人を「助けたい」。
そう願って、現在も初心を忘れないよう事業に励んでいます。
特に年齢の若い方、スポーツ中など健康に生きている方が突然亡くなることは、亡くなった本人ももっと生きたかったでしょうし、残された家族は突然の別れに悲しみと後悔の日々を送られている現実を見て、無くしたいと願いました。
そんな、悲しみと後悔の人生を送ってほしくないと心から願いました。
私は、事業を通して命を救う取組から結果に捕らわれず、心を助けたいと願っていたことに気付きました。
◆救命処置の結果亡くなった事例
救命コムのAEDは全国のさまざまな場所に備えられ活躍しています。
そして、毎年AED使用事例が発生します。
数年前、AEDが使用されバイスタンダーによる懸命な救命処置の結果、亡くなった事例を紹介したいと思います。
離島での救命事例でした。
発見が遅れ、発見された時は心停止状態。
知人や友人に「戻ってこい!」「○○さん頑張れ!」
そんなかけ声の響くなか、ライフセーバーによる救命処置の記録が60分以上記録されていました。
その後、病院に搬送され一時的に蘇生したが、その後すぐに息を引き取られたとのことです。
1週間〜2週間経ってから、AEDをレンタルしていただいたお客様から連絡をいただきました。
「さきほど、遺族の方から感謝の言葉をいただきました。」
「AEDをレンタルしていただきありがとうございます。来年もよろしくお願いします。」
連絡をいただきとても嬉しく感動したことが記憶から離れません。
命が繋がったかどうかという結果ではなく。最善を尽くすことで、ご家族も後悔と悲しみは最小限に抑えられ、より豊かな生活を早いタイミングでおくれると感じました。
人はかならず亡くなります。永遠の肉体生命は現在誰ももっていません。
命を助けることのみを結果とし目的とするのが最善とは思えません。
救命活動を通じて、心豊かな生活を送れる人が増えることを願い必要とされることに対応し続けます。
ご意見ご要望ありましたらご連絡いただければ幸いです。
長文を最後まで読んでいただきありがとうございます。